2008年7月31日木曜日

ようやくBSアンテナをつけ、天王洲ウォーターラインの歓送迎会に上機嫌

チャリです。

今日は7月31日。カントクは昼頃に東京に到着して、浅草松屋のベスト電器で、ベランダの分厚い壁を挟んで設置できるBSアンテナの部材を買ってきた。

ただ、六角のネジで締め付けるようになっているので、カントクは一旦部屋にこの部材を置き、里見にモンキーレンチを買いに行った。「あぁ、自転車があればなぁ」とカントクはきっと思ったはずだ。

帰りに雷門の南側にあるスーパーオオゼキで、お茶や水、カレーパン、おかきなんかも買って帰る。

夕方からは、品川のウォーターライン天王洲という、川に係留された船のようなラウンジで、歓送迎会が行われた。

川風と船端を叩く水音が気持ちよく、7月の末日というのにさほど暑さを感じない。屋形船が提灯をつけて、近く遠く行き交っている。

送られる人が2人、迎えられる人がカントク含め4人だったかな、
「まぁ、豪華な歓送迎会だった。若くて勢いのある会社なのだなあ」 とカントクはしきりに感心していた。

カントクが前の会社を退職する時、同僚や他部署の人たちも個別に送る会をやってくれたが、部署として正式な会や、皆の前できちんと挨拶をする機会もなかったのだという。

ただ、古い会社というのは、社員を家族のように育て、慈しむ反面、辞めるという人をある意味「裏切り者」と見る向きがあるということで、

「そのあたりはイマドキの若いモンにはわからんやろけどな、まぁそれが古い体質の会社のええとこでもあり、悪いとこでもある言うこっちゃ」と、カントクは少し寂しそうに言ったのでした。

今日は2008年7月31日 カントクと出会うまであと、2日。

2008年7月28日月曜日

麻婆豆腐を生まれて初めて作ったカントク、大阪への土産に神谷バーで電気ブランとかぶどう酒、梅酒を買っていたよ

チャリです。

7月27日。カントクは今日も買い物に行った。

山形はえぬき(米)、マーボー豆腐の素、牛ひき肉、豆腐。

これも重かっただろうなぁ。米だけで5Kgあるもんね。

どうやら、今日は大好きな麻婆豆腐を作ろらしい。

生まれてから今まで、ラーメン以外の食べ物を作ったことがないと言ってもいいカントク。作り方を見ながら、なんとかできたようだ。

いや、それどころか、自分は料理の才能があると思ったくらいの出来栄えだったようだ。ビールやデンキブランを飲みながら、一人でうまいうまいと言いながら食べたそうだ。


7月28日 朝から神谷バーの店先で、ぶどう酒や梅酒、デンキブランなどを買って、大阪に帰ってしまった。梅酒がすこぶるうまかったので、大阪への土産にするのだそうだ。重いのにね。

31日に、今度入る会社の歓送迎会っていうのがあるらしいので、その日まで大阪で過ごすのだと言う。

あ~あ。 今日は2008年7月28日 カントクと出会うまで、あと・・・5日くらいかな?

2008年7月26日土曜日

隅田川の花火の尻尾の先まで見えたんだよ。

チャリです。

結局カントクが買ったのは、ドライバー、カッターナイフ、座椅子、カーテン  130、カーテン 190x2、風呂イス、クレラップ、水切り、アイロン台、電気ブラン、電気ブラングラス、ビール、パン、納豆、お茶、水、サケフレーク、HDMIケーブル。

カーテンをとりつけ、洗濯機や冷蔵庫の設置をし、DVDとテレビを繋いで、なんだかようやく人心地がついたんだと、カントクは言う。

そりゃそうだ。昨日はカーテン代わりにダンボールを窓に張って寝てて、夜中にベリベリズルルンなんてダンボールがずり落ちたりしたっていうんだからね。

まだメモに書いてあって買わなきゃいけないものは残ってるんだけれど、エアコンと扇風機を最強で回して、カエルがひっくり返ったみたいな格好で、「もう今日はこれくらいでかんべんしといたろ」なんて言ってる。よっぽど疲れたんだろう。

今日は隅田川の花火大会。会社の人たちが何人か料理と酒を持って集まってくれるという。

今日は2008年7月26日 カントクと出会うまで、やっぱり一週間くらい。

カントク 浅草で生活必需品を買う

チャリです。

マンションから歩いて10mほどのところに酒屋がある。今日は隅田川の花火大会が開かれるとのことで、酒屋の前では屋台が張られていた。

「知らない街で道を聞くのは、酒屋に限る。」

とカントクは言う。道や建物をよく知っている、お礼に酒を買えば相手も喜ぶ、特にこういう小さな酒屋と仲良くなっておくと、何かと割引などもしてくれるはずだ。などと言っているが、単に警察がキライなだけじゃ・・・イテッ。

カントクは屋台の準備をしている酒屋のおかみらしい人に声をかける。

「あ~と、おはようございま~す。」

こういうときの愛想はいい。おかみさんが答える。

「おはようございます。」
「私、昨日、大阪から、そこのむぎとろに引越してきまして、単身赴任で、はい、これからよろしくおねがいします。」
「あぁ、そうですか。まぁ、一人で。こちらこそよろしく。」

今日は花火なんですよねぇなとどいう話を少ししたあと、要件を切り出す。

「すみませんが、ちょっと教えていただきたいんですけど」
「はい?」
「このあたりに工具やカーテンなんかを売っているホームセンターのようなところはないでしょうか?」
「う~ん、ホームセンターはないねぇ。工具やカーテンねぇ・・・。サトミかライフかなぁ。」

「あ、フロのイスなんかもありますか。台所、洗濯用品なんかも」
「うん、ライフならそういうのもあったと思う。歩いていくんだよねぇ。少し遠いけど、(店の奥へ)ちょっとぉ、サトミとライフまでの地図書いてあげて。」

旦那さんらしい人が、地図を書いてくれた。

「どれくらいで歩けます?」
「サトミまで10分くらい、ライフまで20分くらいかなぁ。自転車がありゃあすぐなんだけどねぇ。」

「ありがとうございました。また来ます。」
と地図をもらって歩き出した。

雷門から2本ほど南の道を、西に真っ直ぐ抜けたところに「里美」というディスカウントショップはあった。

この店の佇まいを見て、カントクはにっこりとした。カントクの好きなタイプの店らしい。

表にカバンやトランク、イスや物入れ、スリッパ、靴下などいろいろな品物がところ狭しと並んでいる。店の外がそうなんだから、中は推して知るべしだ。あ、自転車も並んでいる(ドキドキ)。

早速カントクは、緑色の折りたたみ自転車のハンドルに手をかけた。

ふう。ちょっと休憩。

今日は2008年7月26日 ボクがカントクと出逢うまで、やっぱりあと一週間?・・くらい?。

(続く)

浅草のワンルームで生涯初の一人暮らし最初の夜を過ごしたカントク

チャリです。

今日は7月26日。カントクは生まれて初めての一人暮らしの夜を過ごし、ダンボールカーテンの隙間から差し込む光で目をさました。

机代わりのコタツも昨日は届かなかったので、ラーメンを作ってフローリングの床で食べたのだと言います。

昨日は、ドライバーやレンチなど、自宅にならどこにでもゴロゴロと転がっている工具がなく、何かをしようとするたびに

「あ、ドライバーがなかったんや、何でそんなもんがないねんこの家は。あぁ、メガネもモンキーも無いんかいなこの家は。ほんまにしゃぁない家やなぁ。」

と、何だか家が悪いような独り言を言っていて、

今日は朝から、昨日足りないと思ったものを書き出したメモを持って、カントクは街に出た。パソコンはあるのだけど、インターネット環境がないので、街のどこに何があるのか調べることもできず、東京どころかこのあたりの地図さえ、カントクは持っていなかった。

「インターネットのクチがないがなこの家は。無線LANかな?繋がらんけどなぁ。」

などと言っているところを見ると、どうやらカントクはこのマンションのインターネットは個別契約しないと使えないことを知らないようだ。

メモには、ドライバー、モンキーレンチ、アンテナ取り付け具、カーテン、フロのイス、ハサミ、ガムテープ、洗濯カゴ、物干し竿、座椅子、食い物、などと並んで、折りたたみ自転車というのも書いてあった。ドキドキ。

マンションには自転車置き場がなく、自転車を買っても、小さなエレベーターに乗せて部屋の前に置いておくしかなかった。エレベーターに入るサイズの自転車は、多分折りたたみしかないだろうというのがカントクの考えだった。ま、だれでもそう考えるだろうけどね。

今日は2008年7月26日 ボクがカントクと出逢うまで、あと一週間・・くらい?。

2008年7月20日日曜日

単身赴任前に大阪で奥さんの実家で壮行会?を開いてもらったカントク

チャリです。

今日は7月の20日。カントクは、家族そろって奥さんの実家に行ったのだそうです。

カントクの奥さんの実家は、セレッソ大阪の本拠地、長居競技場から徒歩10分くらいのところで、ビルなどの電気設備と工事の仕事をやっていたそうです。

カントクも、もうちょっとうまく立ち回っていれば、今頃はその会社を継いでいたのではないかというような雰囲気もないではなかったのですが、その会社は、ずっと勤めてくれていた番頭さん?にすべて譲ってしまって、お義父さんは、悠々自適の生活に入ってしまった。ちょうどそれはバブルが始まった頃のことだったそうです。

「これくらいあればもう働かなくても暮らしていけるだろう。」 というような目論見もあったようで、それは幾分はずれたようではあるけれど、その後、カントクの住む町の、カントクの家のすぐ近くに家を買って引っ越してきて、盆と正月にはカントク一家を家に呼んでくれて、

舌のとろけるような牛シャブや、アワビの活け造り、正月にはオガクズにくるまった、生きた伊勢海老などを持ってきてくれたりしているので、まぁ、老後の不安はないようです。

でも、カントクは、
「メシがうまいんや。うん、メシが。いい米なんよねきっと。」 と、そのあとで食べるご飯が楽しみなようです。

今日は、カントクがもうすぐ東京に行ってしまうというので、いつもお盆に集まるカントクの家族と、カントクの奥さんのお姉さんの家族とが一同に集まって食事をしようということになったようで、カントクは、ひさしぶりに逢ったお義兄さんなどともいろんな話をして、実はなんだかとっても感動していたようです。

Photo


こういうのって、いいなぁって思うんですよね。ボクはそのお義父さんにも、お義母さんにも、いや、カントクの家族誰とも逢ったことがなく、たぶんこれからも逢えないんだろうなとおもうけど。

今日は2008年7月20日 ボクがカントクと出逢うまで、あと13日・・くらい。

2008年7月9日水曜日

カントクのチャリ

チャリです。

カントクは2008年7月9日に、転職の打ち合わせで東京に来た。交通費や宿代も転職先に負担させ、打ち合わせの翌日を住む家探しにあてた。

不動産屋に、
「ええか、とにかく浅草駅に近くて、隅田川沿いで、花火のみえるとこ。あと、気持ちのいい公園近くで、できればジョギングコースのあるとこがええな」と、言っていたそうで、

大阪の田舎モンが、これから東京で生活をしてゆくのだという真摯な姿勢は全く見えず、ほとんど観光気分で東京生活の拠点を決めようとしていたとしか思えない。と感じるのはボクだけだろうか。

とにかく人の多いところにいると眩暈がし、酒は飲むけど静かなところでないと機嫌が悪く、うるさいところにいると「じゃかましい!」と怒鳴りたくなるという、典型的な離人症タイプの人なわけで、こんな人がまたなんでわざわざ人の多い東京で働く気になったのか、かなり理解に苦しむのだが、まぁ、いろんな事情があったんだろうとは思う。

東京で働くと決めた時に、カントクは、特に何の根拠もないながらも、
「とにかくワシの住むところは上野か浅草界隈しかない」
と、決めていたようで、地図やインターネットでいいところがないかといろいろと調べているうちに、

「上野に住むと、『我が愛』との距離が近すぎる。愛は、賄い一切面倒を見ると言ってくれているが、いい歳こいて愛に溺れてはわざわざ東京へ来た意味がない。ここは浅草芸人として、イチからストイックに修行するのが男の道なのだ。」

など、まじめなのかナルシストなのか、あるいは単なるあかんたれなのか、社会的にも人類学的にもほとんど意味のない理屈で、浅草に住むことを決めたらしい。

今日は2008年7月9日 ボクがカントクと出逢うまで、あと24日・・くらい。
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