駅で言うと、銀座線の田原町。国際通りと浅草通りの交わる交差点から南西に少しだけ歩くと、壁が一面こういう感じに赤い文字が書かれている塀が見つかる。ここが本法寺。

2010-06-13 TV局、ラジオ局、鈴本演芸場、落語協会、末広亭、立花演芸場、金馬、金語楼などの名前が見える。浅草本法寺 posted by (C)カントク

2010-06-13 古今亭志ん生、三遊亭圓生、山椒は小粒でヒリリと辛いというのを芸名にしてしまったという三笑亭可楽の名前も見える。浅草本法寺 posted by (C)カントク
壁には、放送局、寄席、落語家の名前が彫り込まれている。

2010-06-13 はなし塚 戦時中に禁じられた落語53話を葬った落語の墓。浅草 本法寺 -15.39.40 posted by (C)カントク
境内は狭く、見て回るようなものは全くないんだけれど、ここの「はなし塚」っていうのはあまりに有名だ。
戦時中、言論、新聞、書籍は言うに及ばず、芸術活動や落語や演芸も、ある意味規制や弾圧を受けた。
「ニッポンコクミンが一丸となってお国のために働かなければならん時に、人を笑わせたり、特に人心を乱す女郎屋の話などをすることはまかりなら~ん!」 ということで、そういう話53話が「禁演落語」とされた。
それはそういう時代だったんだから、これが間違ってるとか正しいとかって話じゃないんだけど、「それなら墓作って葬っちまおうじゃねぇか」という発想が、もし洒落から出たんだったらすごいなと思うよね。
【はなし塚に葬られた落語】
明烏、粟餅、磯の鮑、居残り左平次、氏子中、お茶汲みお見立て、おはらい親子茶屋、紙入れ、蛙茶番、葛籠の間男、首っ丈、郭大学、後生鰻、五人廻し、駒長、子別れ、権助提灯、三助の遊び、三人片輪、三人息子、三枚起請、品川心中、城木屋、疝気の虫、高尾、辰巳の辻占、付き馬、突き落とし、搗屋無間、つるつる、とんちき、二階ぞめき、錦の袈裟、にせ金、白銅の女郎買い、引っ越しの夢、一つ穴、ひねりや、不動坊、文違い、坊主の遊び、包丁、星野屋、万歳の遊び、木乃伊取り、宮戸川、目薬、山崎屋、よかちょろ、悋気の独楽、六尺棒(以上53話)
今日は2010年6月13日 カントクと出会ってから 1年と315日。